vol.6 Takahiroさん(34)【鉄骨鳶職人から日本そして、世界へ】


千葉県銚子の近くの港街で生まれ育つ。15歳で上京してからは飲食店やホストクラブのスタッフとして働く。その後、代々職人家系だったこともあり、溶接工として活躍、現在は鉄骨鳶職人として主に行程管理などの業務に従事している。来春から、時間・場所にとらわれない自由な生き方・働き方を模索しつつ、多くの人の価値観に触れるため日本を旅する予定。


*Takahiroさんの20歳


—20歳の時は何をしていたのですか?


15歳で上京してからは、東京で仕事漬けの日々。

周りの人たちに比べると、自分はまだ全然若かったから年上の先輩にはすごく可愛がってもらえたかな。

20歳になった時は一度地元に帰っていて、そこで溶接工として働き始めた時で。

僕の職人人生はそこから始まったんだ。

まだ、今ほどネットで情報を簡単に手に入れることができなかったから

遊びも働くことも、全部「まずはやってみる」という精神で取り組んでいたよ。


*Takahiroさんのこれまで

◇やんちゃだった幼少期


—小さい頃はどんなお子さんだったのですか?


小学校では野球、中学校では陸上をやっていて、体を動かすのが好きな元気な子供だったかなって思います。小学校高学年の時は担任の先生に目をつけられていた、いわゆるやんちゃな子供で(笑)


—よくアニメで廊下に立たされるシーンがありますが、まさにあのような感じの?


まさにそうですね(笑)僕の場合は時代的に、今ほど体罰が問題視されていなかったこともあって、先生の標的になっていました…苦笑


◇とりあえず、やってみる。働き始めた15歳


—高校は途中で辞められているのですか?


そうですね。僕の周りは中学を出てそのまま働きに出る子が多くて、自分は高校に入ったものの、彼らのことをそばで見ていて、学校に在学し続けているよりも早く働きたい、という気持ちの方が強くなったんです。

高校一年生の夏休みに学校を辞めて働き始めました。

まずは実家から通える距離にある工場で1ヶ月ほど仕事をした後に、15歳の時同級生4人と家出をしたんです。


—家出ですか?映画のような展開ですね…!その後4人はどうなったのですか?


4人のうち1人は家に帰りましたが、僕を含め残りの3人はそのまま上京しました。

上京した後は、知り合いの家にお世話になりながら、飲食店やクラブやホストとしても働きました。ここだけの話…ですが(笑)当然周りのスタッフよりはるかに若かったので、かなり甘やかしてもらいましたね。


—過ぎた話…なので(笑)他にはどんなことをされていたんですか?


一度サラリーマンになって会社勤めもしてみたんですよ。だけどやりたいことではなくて。この時26歳くらいだったのですが、自分が何をやりたいかもう一度考えてみたんです。


◇職人として、得たやりがいと喜び


—そこで職人の道を選ばれたということですか?


そうですね。僕の場合は祖父と父が職人だったこともあって、もともと職人家系なんです。なので、自分も職人として活躍できる素地はできていたのかもしれないですが、初めは溶接工として働き始めました。

その後は、現在も続けている鉄骨鳶職人に比重を移し活動しています。


—鉄骨鳶では、どのポジション*で活躍されているのですか?


僕は、主に工程管理の業務をしています。工事のスケジュールや人員配置などを細かく調整して工事が予定通りに進む様に後押しするんです。

高所での取付け作業も何度か経験はありますが、高いところが苦手なのですごくヒヤヒヤしましたね。



高所での取り付け作業はまさに職人芸そのもの



*鉄骨鳶職人には大きく分けて三つのポジションがある。

一つが下回り、二つ目が取付け、そして三つ目が工程管理である。

下回りは玉掛けともよばれ、地上にて、クレーンで鉄骨を釣り上げるために鉄骨にワイヤーをかける作業である。

二つめは、いわゆる鉄骨鳶の花形業務である高所での鉄骨組みの作業である。

命綱をつけながら、地上100メートルといった高さで作業をすることもある。

三つめは全体の工事のスケジュールを組む管理の業務だ。スケジュール管理を怠ると、その後の建設作業にも影響を与えてしまうことがあるため、かなり重要である。



—鉄骨鳶職人として活躍されていて、よかったなと思う時はありますか?


よかったなと思うことはとても多いですね。逆に辛いと思うことは、朝が早いといったことくらいでしょうか…。

一番嬉しいのは、自分が工事で関わった建物が実際に利用されているのを見たときですね。以前担当した建物を、わざわざ見に出かけることだってあります(笑)


建設完了時に行う式典:最後の鉄骨に職人さんはじめ、多くの関係者の名前が刻まれている


これはこの建物の最後の鉄骨ですね。これを組み終わったら自分たちの任務は全て完了した、という合図で。

どんな現場に行っても、この瞬間は何にも代えがたい感動的なものなんです。



*Takahiroさんの好きなモノ

—オススメの映画を教えてください


『しんぼる』松本人志


もともとお笑いが好きで、テレビあればずっとお笑い番組見てるくらいで。笑

コントだけでは見ることができない、松本人志世界観を垣間見れる作品です。

家にいるときも、暇な時はBGMにしているくらいですね。


—影響を受けた人


ドリフ、とんねるず、ダウンタウンや北野武と甲本ヒロトなど…小さい頃から見て育っているから、自然と憧れがありますね。


—今の人生は、ズバリ…何点ですか?


25点くらいかな。やりたいことがまだわからない状況だし、自分ができる事ももっと探求していきたいんです。


*Takahiroさんのこれから


—今の夢はありますか?


旅をしたいですね。いろんな人に会って様々な価値観を知り、見て、自分のやりたい事を探求していきたいんです。今までずっと働いてきたから、旅を通して心を豊かにしたい、そのような思いもあります。

実は来年の三月に仕事を辞めて、期限や場所を決めずに日本中を旅する計画を立てていて、そこでは自分にとっての楽しい事や面白い事に触れながら暮らしていきたいという思いがあります。



様々な出会いや素敵な景色に出会って、自分の体だけでどこまでいけるのか、挑戦していくつもりです!

日本を旅した後は、国外もチャレンジしてみたいですね。


—すごく素敵な経験になりそうですね!旅を通して叶えたい姿などはありますか?


そうですね。体験で物を語る人になりたいです。

他人に話をするときに、自分の経験をもとに語る事ができる人は素敵だなと思いますね。そのためにも、とにかく旅中はいろいろなことに挑戦したいです。


*Takahiroさんと旅に出る仲間を募集中!


4月からTakahiroさんと旅に出るお仲間を募集しています。

内容は写真撮影、簡単なブログ記事の作成、Takahiroさんの相談相手!

条件は面白いことが好きな人。体が丈夫な人。あと無期限ですから、それに合わせることが可能なこと。です( ̄— ̄)☆


興味のある方は、TakahiroさんのFBに直接ご連絡ください(^^)!

ぜひぜひ、少しでも興味がある方は、一度会ってお話ししてみてくださいね^^!

TakahiroさんFB: https://www.facebook.com/giske8

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Crossroads 〜20歳の時、なにしてた?〜

ハタチの時代を思い切り楽しむ人たちへの道しるべ。憧れのあの人は20歳の時、どんなcrossroads(分岐点)を迎えたのだろう。 「20歳の時、なにしてた?」そんな質問を中心に、年齢•職業•性別を問わずバラエティ豊かな方々にお会いし、人生インタビューをしています。