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須摩陽子さん(31) 【多様性のある社会を、若い方をはじめ様々な人に知ってもらうきっかけを作りたい:有限会社ビッグイシュー日本】

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー富山県生まれ。大学進学に伴い上京、法政大学社会学部にてメディアやジャーナリズムを学ぶ。卒業後は広告代理店に就職し8年間勤めながら、若者支援事業を行う「NPO法人ゆどうふ」にて、週末にボランティア活動を行う。2017年7月に社会的企業である「有限会社ビッグイシュー日本」に転職し、日々ホームレスの方々と向き合い、自立を支援する活動を行っている。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー*はじめに ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー皆さんはビッグイシューをご存知ですか。私にとってビッグイシューは小さい頃からとても身近な存在でした。というのも家の最寄り駅で男性が雑誌を頭上に掲げて販売している様子がとても印象に残っていたからです。雑誌は本屋やコンビニで購入するもの、という感覚が強かったので、「なんで道端で雑誌を売っているのだろう」幼心にそう不思議に感じていました。 ビッグイシューを初めて購入したのは高校一年生の冬。ずっと気になってはいたけれど、勇気がでなかった。今日こそ買うぞ! ドキドキしながら、「一冊ください」というと、おじさんが優しく「ありがとう。」と声をかけてくださいました。そのあと3分ほど世間話をして帰宅。当時購入したのはこの号でした。懐かしい。https://www.bigissue.jp/backnumber/208/

vol.6 Takahiroさん(34)【鉄骨鳶職人から日本そして、世界へ】

千葉県銚子の近くの港街で生まれ育つ。15歳で上京してからは飲食店やホストクラブのスタッフとして働く。その後、代々職人家系だったこともあり、溶接工として活躍、現在は鉄骨鳶職人として主に行程管理などの業務に従事している。来春から、時間・場所にとらわれない自由な生き方・働き方を模索しつつ、多くの人の価値観に触れるため日本を旅する予定。 *Takahiroさんの20歳—20歳の時は何をしていたのですか?15歳で上京してからは、東京で仕事漬けの日々。周りの人たちに比べると、自分はまだ全然若かったから年上の先輩にはすごく可愛がってもらえたかな。20歳になった時は一度地元に帰っていて、そこで溶接工として働き始めた時で。僕の職人人生はそこから始まったんだ。まだ、今ほどネットで情報を簡単に手に入れることができなかったから遊びも働くことも、全部「まずはやってみる」という精神で取り組んでいたよ。*Takahiroさんのこれまで◇やんちゃだった幼少期—小さい頃はどんなお子さんだったのですか?小学校では野球、中学校では陸上をやっていて、体を動かすのが好きな元気な子供だったかなって思います。小学校高学年の時は担任の先生に目をつけられていた、いわゆるやんちゃな子供で(笑)—よくアニメで廊下に立たされるシーンがありますが、まさにあのような感じの?まさにそうですね(笑)僕の場合は時代的に、今ほど体罰が問題視されていなかったこともあって、先生の標的になっていました…苦笑◇とりあえず、やってみる。働き始めた15歳—高校は途中で辞められているのですか?そうですね。僕の周りは中学を出てそのまま働きに出る子が多くて、自分は高校に入ったものの、彼らのことをそばで見ていて、学校に在学し続けているよりも早く働きたい、という気持ちの方が強くなったんです。高校一年生の夏休みに学校を辞めて働き始めました。まずは実家から通える距離にある工場で1ヶ月ほど仕事をした後に、15歳の時同級生4人と家出をしたんです。—家出ですか?映画のような展開ですね…!その後4人はどうなったのですか?4人のうち1人は家に帰りましたが、僕を含め残りの3人はそのまま上京しました。上京した後は、知り合いの家にお世話になりながら、飲食店やクラブやホストとしても働きました。ここだけの話…ですが(笑)当然周りのスタッフよりはるかに若かったので、かなり甘やかしてもらいましたね。—過ぎた話…なので(笑)他にはどんなことをされていたんですか?一度サラリーマンになって会社勤めもしてみたんですよ。だけどやりたいことではなくて。この時26歳くらいだったのですが、自分が何をやりたいかもう一度考えてみたんです。◇職人として、得たやりがいと喜び

vol.3 和隆さん(44)【静かなる闘志の持ち主】

◯和隆さんってどんな人?—運命を変える、プラモデルに出会った幼少期 「僕は幼稚園から小学校に上がる時期に、重い肺炎を患って、生死の境をさまよったんです。」和隆さんは重たい口を開く。 それでも担当医に、「生きたい!!死にたくない!」ということを幼いなりに力の限り訴え、医師たちの必死の治療もあって一命を取り留めることができたのだという。 それは本当に奇跡のようで、退院する際には入院していた日赤病院の中で先生や看護師さんが集まれるだけたくさん集まって、アメイジンググレイスを歌ってくれたという。 健康な体を取り戻したものの、肺を刺激する激しい運動をすることができず悔しい思いをたくさんした、と話す和隆さん。 そんな小学校1年生の時に和隆さんが出会ったのがプラモデル。和隆さんが小学校低学年の頃といえば、時代はスーパーカーブームの全盛期で、和隆さんの通う小学校の中ではスーパーカー消しゴムが大流行し、皆がこぞってコレクションをしていたんだとか。 そんな時代に和隆さんもスーパーカーブームに乗っかって、運良くプラモデルに出会うことができた。  プラモデルが趣味という方は、結構世の中にたくさんいて、「組み立てる過程が好きなんだ」そう話す人は多いけれど、和隆さんも例外ではないようだ。 校庭で運動を思い切りできなかった和隆さんにとって、黙々と組み立てていくプラモデルはかけがえのない趣味になっていった。 「組み立てる過程が好きでプラモデルにドンドンはまっていったんだ。」そう話す和隆さんはとても生き生きして見える。