vol.20新畑克也さん(38)【フォトグラファー。ミャンマーにある笑顔や気がかりを伝えたい】


フォトグラファー。1979年広島県呉市生まれ。東京都在住。

2010年に初めてミャンマーを訪れる。

「旅先で出逢う人々の美しい表情を写真に収めたい」という思いを胸に、計13回同国を訪れるほどのミャンマー好き。

今後は笑顔だけではなく、国の光の当たらない矛盾や気がかりにも焦点を当て写真を通して伝えていきたいと考えている。 


今回待ち合わせ場所として新畑さんが提案してくださったのは、リトルヤンゴンとして知られる高田馬場の「スィゥミャンマー」。


ミャンマーの国民食、モヒンガーをすすりながら、新畑さんの人生を紐解いていく。


◼︎新畑さんの、二十歳のとき。ミュージシャンになる夢を追いかけていた


「アメリカ留学中に迎えた20歳の誕生日当日は、友達がバーでお祝いをしてくれました。」


初めてアメリカに留学したのは高校二年生の時。通っていた男子校から どうにか抜け出したい一心で、憧れの地アメリカへと飛んだ。

テネシー州にある高校にて留学中の新畑さん


「外国から来た自分を家族同然で温かく迎え入れてくれたことがすごく嬉しくて。血の繋がりに執着しないアメリカ人の心の広さを垣間見た気がしました。」


実は母子家庭で育った新畑さん。留学先のテネシー州の家族とホームステイを経験した時に、素敵な夫婦象、父親のあるべき姿も学んだという。


高校卒業後、1年間語学学校へ通い、渡米。


カレッジ(大学)時代の新畑さん。このとき、若干二十歳。


2年間の大学生活を経て、22歳の時ハリウッドにある音楽学校に進学しボーカルを学ぶ。

音楽学校時代の新畑さん


昔から歌うことが大好きだったという新畑さん。

CHAGE & ASKAやStevie Wonderに憧れてミュージシャンになる夢を抱いていたこの頃。

当時はブラック音楽に傾倒しコーラスやゴスペル、様々なクラスを履修しながら、時にはバンドを組んでパフォーマンスもしていたそう。


◼︎帰国後は、大好きな音楽を仲間とともに。


帰国後は、広島に戻った新畑さん。

「なんでもできる。怖いものなんてない。」アメリカから意気揚々と帰国したものの、

現実はそこまで上手くいかなかった。


「介護関連のアルバイトを始めたら、自分がぎっくり腰になってしまいました…(笑)」


その後もいくつかのアルバイトを転々としながら、最終的に貯めたお金で楽器が演奏できる物件に引越し、不定期で仲間とともに音楽イベントを開催するようになった。

楽曲も一から作り、充実した日々を過ごしていた。

音楽を本格的に始めてから約10年間の月日が流れ、30歳になった新畑さん。

この頃から少しずつ、音楽を思うように楽しめなくなっていったという。

「以前は音楽イベントに友人を沢山招いてたのですが、その気力も無くなってしまったんですよね。シンガーとしての己の限界を感じて熱がす〜っと冷めていく感じ。」

そこから興味はアジア、とりわけミャンマーへと移っていくことになる。



◼︎初めてのアジア旅行。


時間を少し巻き戻した27歳の時、初めて上海を訪れた。

新畑さんにとって記念すべき初のアジア旅行である。

それから香港、マカオ、タイ、そしてカンボジアとアジア旅行を続けた。


アメリカでは出会うことがなくとも、アジアを旅行していると頻繁に出会う光景がある。

それは、急成長を続ける都市部とその影で暮らす貧しい人々の姿。国が放つ光と影の部分が手に取るように分かった。

そしてもう一つ。

開発が進みつつある都心部から少し離れると、どこか昔懐かしい田園地帯が広がっていたりする。

「ベタですが、日本人がどこかに置いてきてしまったような“キラキラした人々”の姿を見たような気がして。この頃からカメラを買って写真を撮るようになっていました。」

今までは旅先で建物や食べ物の写真を記録として撮影していた新畑さん。


次第に、被写体は“人”へと移っていく。


◼︎魅惑の地ミャンマーへ


カンボジアの次に旅先として選んだのは、ミャンマーだった。

この頃から本格的に人を被写体にした、作品としての写真を撮り始めます。


2010年、初めて同国を訪れ、バガンの遺跡やインレー湖を巡った。いわゆる王道の観光コースだ。しかし、新畑さんをさらに虜にさせたのは、「ミャンマーに住む人々の人柄の良さ」だった。

笑顔が素敵な親子。


すれ違いざま にこやかに挨拶をしてくれる人々、フレンドリーに話しかけてくる子供達…今まで訪れたどこの国よりも、他人との距離をぎゅっと近くに感じたという。

「ミャンマーには計13回行きました。一つのことに熱中すると、とことん突き止めたくなる性格なんです」そう笑って話す新畑さん。


ミャンマーを何度も訪れていた彼だったが、いつかきっと会いに行きたいと思いをはせる人々がいた。ロヒンギャの人々だ。



◼︎ロヒンギャたちとの出会いは偶然に


ミャンマーを初めて訪れる前に読みこんでいた『ビルマとミャンマーのあいだ』という書籍がある。


新畑さんはこの本を通してロヒンギャのことを初めて知った。


2012年10月。ミャンマー西部ラカイン州のシットウェーで暴徒化した仏教徒とムスリムの大きな衝突が起こり、ロヒンギャの人々約20万人が国内避難民*となった。


(*国内避難民…戦争や民族浄化、宗教による迫害、飢饉といった理由から国内での移動を余儀なくされた人々。国境を越えて移動する難民とは区別される。)


「竹槍を持ったラカイン族の女の子がわなわなと震えている様子を動画で見て、

大好きなミャンマーの中で起きているということが信じられませんでした。僕の知っている、朗らかな人ばかりが集っているミャンマーではないと思ったんです。」


心が揺さぶられ、衝突があった3年後に初めてラカイン州を訪れることなる。

衝突の起きた州都シットウェーに足を踏み入れたものの、ロヒンギャたちには会えなかった。諦めかけていた矢先、ラカイン州内部あるチン族の集落を訪れるツアーに参加していた新畑さんは、

その道中ミャウーという町で、車の中から偶然にロヒンギャたちの住む村を見つける。

ロヒンギャの人々。


「ツアーから宿に戻った翌朝、自力で二時間ほどかけて村まで行きました(笑)」


こうして初めてロヒンギャたちの住む村を訪れた新畑さんであったが、

ニュースの中で見ていたような、悲嘆の顔を浮かべた人々の姿はあまり見かけなかったという。

「村の中ではたくさんの笑顔に出会うことができたし、子供も大人も幸せそうに暮らしている様子を見て少し、拍子抜けしました。」

ミャウーで出会った、神秘的な笑顔が素敵な少女

再訪時には、以前撮った写真をプレゼントしました。


そう話す新畑さん。しかし一方で、仏教徒が住む村とは環境面で大きな格差があることが分かったという。


例えば不自然な人口密度の高さ。長年ミャンマー国内で国籍を剥奪されバングラデシュからの不法移民として扱われている彼らには厳しい移動制限があり、ロヒンギャたちは狭い土地に隔離されている。

彼らは原則的に村から出ることを許されず、仕事も制限され教育や医療を受ける機会も与えられていない。

そして電線、水道。仏教徒が住む村には当たり前にあるものが、ロヒンギャたちの住む村にはない。

電線が途絶えたロヒンギャたちの村


◼︎非公認キャンプで出会った、笑わない子供たち


その後も幾度となくミャンマーを訪れたが、新畑さんの行先はロヒンギャたちの住む地域へ自然と向かっていた。

笑っていない人々の写真を撮ったのは初めてでした。

新畑さんが笑わないロヒンギャたちに出会ったのは、ラカイン州州都シットウェーにある、非公認(Unregistered)キャンプだ。

非公認・国内避難民キャンプでの一枚。


非公認キャンプは、難民キャンプとして認められていないためUNHCRなどからの支援物資が届かない。不衛生な環境下で、食料、医療、生きていくための手段が限りなくゼロに近い。

「今まで人々の笑顔しか撮影したことがなかったので、どうしたらいいのか一瞬迷いが生じましたが、とにかく必死にシャッターを切りました。」

写真左の女の子のお腹は、寄生虫の影響で大きく膨れてしまっている。


「海外メディアの出入りも制限されているので、彼らのことが心配です。」



◼︎新畑さんの、これから


「これからも、ミャンマーで以前のように人々を撮り続けたいです。笑顔がはじける素敵な人々のことも、そして矛盾の中で生きている人々のことも。」

日本にいるロヒンギャ難民の親戚に会い、彼との写真をプレゼントした


矛盾の中で生きる人々は、ロヒンギャだけではない。

ラカイン州に住む仏教徒もまた、ミャンマー国内では貧しい暮らしを送っている。

ロヒンギャ以外のイスラム教徒キリスト教徒ヒンドゥー教徒の人々もまたミャンマー国内で少数民族ゆえの様々な問題を抱えている。


ミャンマーの少数民族、チン族の女性。


「これからも勉強を重ね頑張っていきたい。」そう話す新畑さん。


ミャンマー、何度も訪れて飽きないですか?そう最後に質問をぶつけると

一言。優しく微笑みながらも力強く「人が魅力なので飽きることはないですよ。」


「それに、一つのことにハマると、とことん突き詰めたくなる性格なんです。」

新畑さんのミャンマー通いはまだまだ、続きそうだ。


新畑克也さんHP:http://www.katsuyashimbata.com

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ハタチの時代を思い切り楽しむ人たちへの道しるべ。憧れのあの人は20歳の時、どんなcrossroads(分岐点)を迎えたのだろう。 「20歳の時、なにしてた?」そんな質問を中心に、年齢•職業•性別を問わずバラエティ豊かな方々にお会いし、人生インタビューをしています。