vol.4 長谷部健さん(45)【渋谷区長:クリエイティブな渋谷区へ】


現在渋谷区の区長としてご活躍なさっている長谷部健さん。
長谷部さんは、大学卒業後、大手広告代理店に務めたのち、独立。NPO法人green birdを設立し、ゴミのポイ捨て対策のプロモーション活動を始める。
同年に渋谷区議会議員選挙にてトップ当選を果たし、三期にわたり渋谷区議員として地域に貢献したあと、2015 年に渋谷区長に当選し、就任。
区議の時代からLGBTパートナーシップ条例を提案するなど、今までの枠にとらわれない姿勢で多くの人の支持を仰いでいる。 




 —20歳の時は何をしていたのですか? 


 二浪して大学に入ったから20歳は大学一年生の頃。

この頃は、大学入学と同時に始めたスポーツ、「オージーボール」にとにかく夢中になっていたな〜。

 日本代表として世界で戦う経験もして、いい意味でコンプレックスがなくなり自分に自信が持てるようになった、自分にとってすごく大切な時期だったよ。 


 —小さい頃のことを教えてください。 


小さい頃はヤンチャな子供だったよ。(笑)
毎日が体育の授業だったらいいのにな…そう願っていたし、
幼い頃からスポーツが大好きで、野球や柔道を高校生までずっと続けていたから、将来はスポーツのプレイヤーとして活躍したいという夢が大学に入学する前からあったんだ。


 —大学入学後もスポーツ選手になりたいという夢はありましたか? 


 うん。大学生になっても相変わらずスポーツは大好きで、
オーストラリアの国技であるオージーボールを大学入学とともに始めたんだ。

オージーボールの日本の競技人口は、200人ほどだったから、日本代表になることができて、オーストラリアで試合もしたよ。

漠然と、プレイヤーとしてこれから生きていきたいと考えてたな。


 —どんな大学時代を送られていたのですか? 


大学時代はスポーツとバイトばっかりの毎日だったよ。これはあんまり声を大にして言えないけど勉強の方はお世辞にも全然できてなかった。(笑)

居酒屋やレストラン、土方など様々なアルバイトをこなしながら毎日の部活動に精を出していたんだ。 


—長谷部さんが土方…(驚)イメージがつかないです!
部活動とアルバイト以外にはどんなことをされていたのですか? 


アルバイトでコツコツ貯めていた資金を叩いて、部活動が唯一休みになるオフの時期に一ヶ月ほどのバックパック旅行に出かけていたよ。
部活動でよく海外で試合をしていたこともあって、海外に一人で出ていくことの恐怖感はあんまりなかった気がする。 



◇きっかけは、「なんか、おもしろそう」! 


—充実した学生生活を送られていたのですね。進路について考える時期になった時にも、やはりプレイヤーとして生きて行くことは考えていましたか? 


 うん。大学三年生、四年生を迎えると、人並みには真剣に進路について悩み始めていて。

でも、一番初めに浮かんだのはやっぱり、プレイヤーとして活躍する自分の姿だったんだよね。 

大学でもスポーツを続けてきて、この先も続けていきたいという気持ちがすごく強かったし、まずはその道でやっていけるかどうか、試してみようと思ったんだ。


 —プレーヤーとして食べていくことってなんだか難しそうです…夢を夢を叶えるためにどんなアクションを取られたんですか? 


 僕も自分の夢が実際に実現可能なのか、まずは試してみようと思って。

実際にオーストラリアを訪れてみて、オージーボールをオーストラリアのクラブチームで続けて、少しのお給料をもらいながら、日本語の教師の職を得て生きていくという人生設計が現実的になってきたんだ。
クラブチームの契約も貰えそうだったし。


 —すごい…!でも、長谷部さんは就職して東京に残られたんですよね? 


うん。そこで生きていけるということが現実的になったんだけど、
もともと広告代理店に興味があったこともあって、
日本の就職活動も一旦受けてみようかなって思ったんだ。

そうしたらありがたいことに、大手の広告代理店の内定をもらうことができて、面白そう!って思った自分の直感を信じて、そこで働くことに決めたんだ。


 ◇どきっとする広告に心奪われて…


 こうして、晴れて広告代理店で働くことになったんだけど、同期には独立したいという起業家精神旺盛の人たちがすごく多くて。
結局同期の2/3は独立して会社を辞めていったんだよ。(笑)そんな環境にいたから、彼らには少なからず影響を受けていたな。 


—長谷部さんご自身は、起業を考えていらっしゃったのですか? 


そんな環境にいたから、やっぱり考えたよね。(笑)
僕が広告代理店で働いていた90年代後半は、環境問題や酸性雨や公害、地球温暖化をテーマにした、いわゆる公共広告が大きな広告賞を取るようになっていて、
僕自身もそんな 自分たちの生活や社会に大きく関わる広告を作りたいという思いが強くなっていったんだ。
そしてゆくゆくは強いメッセージ性を持った公共広告をつくるクリエイティブエイジェンシーを独立して作りたいと思うようになって。 


—公共広告に興味を持たれたのは、広告代理店で働き始めてからですか? 


いいや。オージーボールの試合のためにオーストラリアを訪れていた時に、日本よりもずっと「どきっ」とする広告が沢山あるということに、もともと興味を持っていたんだ。

「飲酒運転なんて超おおバカやろうだぜ!」という意味のキャプションとともに、

日本では考えられないほどグロテスクな、事故後の映像が流れたんだ。

やっぱりその広告は効果絶大で、飲酒運転をする人の数はそれからぐっと減ったみたいで。

 日本はまだまだ保守の壁があって、生活や社会に対して強いインパクトのある広告が全然なかったから、自分がプロデューサーになりたいと思ったんだ。 


◇仕事を辞めて政治の世界へ。

 

—なるほど。そこから長谷部さんは、仕事を辞めて政治の道へ進まれたのはどうしてですか?

 

広告代理店の営業時代に培った、課題を解決する方法をプロデュースする能力は独立した後にも生かしたいと思っていて。
だから、クリエイティブエイジェンシーを開くというのは一つの方法だったのだけど、
そんな時に表参道の商店街振興組合の方々から区議の選挙に出て欲しいと声をかけられるようになって。 


 —長谷部さんはすぐにその誘いに乗ったのですか?


 いやいや。当時は政治=カッコ悪い みたいなイメージを僕自身が持っていたし、

初めは、ありえない。って思っていたよ。
だけど、推薦してくれた方から、政治は「ソーシャルのプロデュースだよ」という風に声をかけてもらって、 

そこからは、今後プロデューサー人生を送るにしても、30代という脂の乗ってくる時期に、そんなキャリアを積むのもアリなんじゃないかなあって思うようになったんだ。 

地元の渋谷区が好きだったし、ソーシャルプロデューサーという形で地元の政治に関わるのもいいのではないかなと思ったんだ。


広告代理店を退社し設立された、NPO法人green birdの活動での一枚。


 —周りの反応はどのような感じでしたか?


 周りは起業して自分のやりたいことに素直に生きてる人が多かったから、すごく応援してくれたよ。他人事だから応援できるっていうのも大きかったのかもしれないけど(笑)

 でも、やっぱり合コンの時に、広告代理店の名刺と区議会議員の名刺どちらの方がモテるかって言われるともちろん前者の方で。(笑) 

そんなことも考えたりしたけれど、裏を返すと、多くの人が、政治=カッコ悪いものっていう考えがみんなの中にあるということだから、
余計にファイトがわいてきたんだ! 

広告代理店時代はサイレントマジョリティーをマーケティングしてきたつもりだから、自分が頑張れば今NO!って言ってる人の意見も変えられるんじゃないかって、頑張れたんだ。


 —長谷部さんらしいポジティブな考え方がとっても素敵ですね。
その後区議を務められてから、区長さんになってよかったことはありますか。 


今までは区議の一員として、やりたいと思ったことを区に提案してきた立場だったけど、区長になってからは、自分自身がハンドルを握れる立場になって、とてもやりがいを感じているよ。 

アウトプットを出す頻度も上がっていって、渋谷区のためにやりたいことはどんどん自分が主体となって動けるところが、区議時代との大きな違いかな。

 その分プライベートの時間が減ってしまうこともあって大変だけど、やりがいが大きくて頑張れているよ。


 —オススメの映画を教えてください 


一つに絞るのはすごく難しいんだけど、最近はアニメの映画をよく観るよ。
「君の名は。」とか「バケモノの子」が好きで。
渋谷の街のディティールがしっかり描かれていて、興奮するね。(笑)

 物語のつくりもしっかりしていて、海外でもウケがいいのはすごく納得できるし、日本の誇れる文化なんだと思う。


 —影響を受けた人について教えてください


 随分昔に、雑誌の企画で、神様サーファーとして有名なジェリー・ロペスさんとの対談をしたのだけれど、

行き詰まった時はどうするのか?という質問をぶつけた時に帰ってきた一言がすごく印象的だったんだ。

 彼の答えは、「シンプルとバランスだ。」というもので、
問題をシンプルに考えることと、バランスをとること、その両方が整っていると
心はポジティブになってうまくいく、という考え方だったんだ。 

 テストでも、簡単な問題から解いていった方がうまくいったりするでしょ。

 それと同じで、世の中問題だらけだけど、簡単な問題から一つ一つ解決していこう。そういうことをこの対談を通してすごく感じたんだ。彼には随分影響を受けたなあ。


 —今の人生はズバリ、何点ですか?


 100点満点ってことはないけれど、楽しくやれてる、80点の合格点といったところかな。 

子供の存在も大きくて、これからは自分一人だけではない人生になっていくから、彼らがすくすくと、しなやかに成長してくれることで、また人生の満足度は上がっていくんじゃないかなって思うよ。 


 —今の夢を教えてください 


渋谷区がもっともっとアクティブに、クリエイティブやイノベーションが自然と集まってくる街になることが今の夢だよ。 

そして、ゆくゆくはパリ、ロンドン、ニューヨーク、渋谷区って世界中から認められる街にすることが今の夢かな。

 パリやロンドン、ニューヨークって、それぞれパリジェンヌ・パリジャン、ロンドンっ子、ニューヨーカーという風に、自分の暮らす町に愛情と誇りを持っている人たちの呼び名があるでしょう。
渋谷区でも、いつかそんな呼び名が生まれたらいいなって思うよ。 

もちろん日本全体をよくしていきたいという気持ちはあるけれど、いっぺんにその夢を叶えるのは大変なことだから、渋谷区の発展を叶えつつ、それが全国に波及していってほしい、と今は思っているよ。 


—私自身、区長さんの構想の一つにあった、「ホコ天」復活は是非叶えて頂きたいです。(笑) 


そうなんだよ。僕の時代はホコ天を中心に、建物と建物の間からカルチャーが生まれていく過程を目の当たりにしていたから、
クリエイティブな街を目指すためにも、新しい文化が生まれやすい土壌にしていきたいと思っているよ。是非僕も叶えていきたいな!   

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Crossroads 〜20歳の時、なにしてた?〜

20歳を思い切り楽しむ人たちへの道しるべ。憧れのあの人は20歳の時、どんなcrossroads(分岐点)を迎えたのだろう。 20歳の時、なにしてた?そんな質問を中心に、年齢•職業•性別を問わずバラエティ豊かな方々にお会いし、人生インタビューをしています。