Vol.24 テーマ【ダラで見たミャンマーの光と影】
ヤンゴン・ダウンタウンにある船着場から船に乗ってヤンゴンの貧困地域ダラに向かう。
JICAが寄贈したという二階建ての豪華な船に乗った途端、
物売りの子供達がわっと集まってきて、カモメにあげる餌を購入してほしいとせびってくる。
結局彼らのキラキラした瞳にやられ、200MMK(20円)ほどで餌を購入
港に到着してからは、雨が降ればたちまち倒壊してしまいそうなトタン屋根でできた家々が連なり、ヤンゴンとの街並みの差に愕然とした。
7年前に民政移管されて以来、ヤンゴン市内には五つ星ホテルや外資系の企業が入るビルの建築が進み、確実にその姿を変えてきている。
もちろんまだ家族経営の小さな飲食店や民族衣装ロンジーの仕立て屋さんなどは多く残るが、ローカルや外資系の会社で働くミャンマー人も増えてきている。
「軍事政権の時の方が良かったよ。」こちらに来てから良く耳にする言葉だ。
急激な経済成長の陰には、格差と貧困の問題が潜んでいる。
川を船でたった10分超えた先に、こんなにも違う世界が広がっているなんて。
この地域ではモノ・金が限られた地域内で生み出され、そして消費されている。
まだまだ地区の住民がお互いに助け合いながら生活している様子が印象的だった。
*パゴダは、みんなの心の拠り所
上座部仏教を信仰する人が9割を占めるここミャンマーでは、
現生活で功徳を積むことができる行為が沢山ある。
僧侶が家の前を通れば、お米を寄付し、正月の連休明けには出家を経験し頭を丸めた人に多く出会う。
そして人生における最大の功徳として信徒たちに広く信じられているのが、自分の財力でパゴダ(仏塔)を建てることだ。
貧困地域として知られるこの村にも、誰かが来世のためを想って建てたのだろう、周りの風景と不相応なほど立派なパゴダが顔を出した。
境内では子供たちが数人でまとまって遊んでいた。
ここダラの子供達は家族の垣根を越えてお互いを見守り合う習慣があるようだ。
パゴダはこの村でも人々の心のよりどころであり、居場所そのものだった。
*スラム街、バンブービレッジで見た笑顔とその裏にある厳しい現実
ダラの中心地から、サイカーで広い畑を越えたところにダラの最貧困エリア、バンブービレッジがある。
ここは、2005年のスマトラ沖地震津波、2008年のサイクロンで多くの住民が亡くなり大きな被害を受けた村で、今でも被災者がバラックのような家に住み続けている。
村に入った瞬間に違和感を感じた。
本来なら村をを守るべき20~30歳代の男性がほとんど見当たらず、
幼い子供と母親たちだけで構成されている。
経済活動が行われていないこの村では、多くの適齢の男性が、村の外に出稼ぎに出ている。
そのため、この村に残って暮らす人々は普段外部からの寄付によって生活を成り立たせている。
今回私もダラの中心部で米を購入し、バンブービレッジに住む住人に寄付をした。
各家庭の経済状況によって配給する米の量が異なるようで、
村のリーダーである女性が一つ一つ名簿を見ながら、村民の名前と米袋の数量を読み上げ、礼儀正しく順番に村民はそれを受け取る。
大きな畑一つ超えた地域には同じダラ内であってもかなりの格差を感じた。
厳しい現状を耳にした後でも子供達の無邪気な笑顔をたくさん見ることができたが、これからの季節は心配事も増える。
ミャンマーは5月から10月頃にかけて雨季に入るのだ。
雨季には一日中雨が降り続く日も少なくなく、道路の冠水や床上浸水に住民は悩まされる。
このバンブービレッジではサイクロンの被害を受けたことからも想像できるように雨季になると、冠水はもちろん、衛生環境の悪さから感染症にかかり亡くなる方が多くいる。
小さな村の中に、火葬場があることからその環境の劣悪さが容易に想像できる。
寄付や外からの支援が途絶えた時、彼らはどう生活を成り立たせていくのか。
開発が進み益々発展していくミャンマーの光と影を見た気がした。
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